2008年12月

年末、自転車乗りたちからよく聞く、こんなセリフ。

「いや~。普段よく乗る自転車たちは定期的にメンテするんだけど、普段乗らない奴にはなかなか手が回んなくて・・・。大掃除しなきゃな~」

・・・。
じつは我が家にも、そんな奴がおりまして、ほら、こーんなに ↓ 埃が。白いやつ全部ホコリ。
さっそく大掃除しなきゃ。せっかくなんでフレームばらしてピカピカに磨こう。


つうわけで、まずはスイングアームをばらす。
これはリアエンド。なんか曇ってる。これをコンパウンドで磨くと・・・。


ピカピカに!
こんな感じで他のアームも磨く。


次は前三角に、スイングアームAとB、それにサスユニットを接続する。
上がアームAで、下がB。


サスユニットに補助フレームを接続。
で、これをアームAと接続する。


それが ↓ これ。


で、そのアームAと、さっき見たリアエンドの付いてるアームCとを接続する、
んだけど、メッチャ大変やった!下の写真の赤丸部分見てみて。隙間が全く無いんですわ。AとCが接続できなかった・・・。
たしかに普通は隙間がありすぎるとガタが出るんで、隙間は少ない。けど、こいつは全く無いの。削らないと入んない。ん~、なんでなんだ。設計ミスなのか? つか、メーカーはどうやって組んだんだ? 灰色の脳細胞で考えてみる。

そうか、こいつの設計思想はハードなオフロードを前提にされてる。つうことは、わざと隙間を無くして剛性を上げようとしてるのか。
なら設計ミスではない。じゃあ、どうやって組んだんだ? そういえばバラす時もキツかったような気が・・・。つうことはメーカーも力で無理やり組んだってことか。じゃあ、ワシも力でってことで木槌でバチコン!っと入れちゃいました。
なんか、自転車バラしたり組んだりするのって、設計者の思想と対話するみたいで面白くない? だから自転車イジリは楽しいんだね。


次は、リアディスクの台座。
位置は3か所から選べるんだけど、今回は一番奥で。


フロントサスを装着。


いろいろ端折って完成!テストがてら鏡川へ。
スイングアームも問題なし。
なかなか山に連れてけないけど、来年もよろしく!



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これ ↓ が浜口雄幸生家。
右側に生家の保存を祝してるらしき石碑があった。
中に入ってみると・・・。


休館やないかーい!
j ・v・)/\(・○・ )
けどまあ、見られるとこだけ見て帰ろう。
これ ↓ は母屋。右手に小さく見える門に入ってみる。


門をくぐると、飛石と池らしき跡があった。
恐らくこの部屋は、家長が使う居間か、客間に使われてたみたい。
中が見えないから実際のところはわかんないけどね。



せっかくなんで、色付けてみました。
こんな感じに池があったんじゃないかな?
赤点は飛び石のある個所。


これ↓は、母屋の裏にある、だ、台所?
うそやん! 外にあんの? 寒くない?
ホンマに台所なんかな?


これ ↓ は、風呂だって。
ん? 右下に穴が。


ここで薪をたくんだね。


これ ↓ は、雄幸さんが勉強してた建物。
子供のころの雄幸さんは、もの静かで無口な子だったそうな。
というのも、近所には友達がおらず、兄弟も10歳くらい年が離れてて一緒に遊んでもらえなかったから、自然と一人で読書ばかりするようになり、それが原因で物静かで無口になったらしい。けど、その読書のおかげでか勉強の成績は常にトップで、後に東大・法学部に進学する。
むむ、どんな所で勉強してたんでしょう。やっぱ部屋の中が気になりますなあ。開館してる時にもっかい来よう。


今回のポタの御供は、GTのRTS2。
93年にデビューしたGT初のフルサスバイクです。こいつは94年モデル。
おつかれちゃん。



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このまえ行けなかった、浜口雄幸の生家に行って来ました。
今回は、絶海池 → 五台山トンネル → 国道から下道に降りて → 雄幸生家 というコースで行きましたよ。



スタート地点の絶海池。
雨の時、車でこの横を通るたび「道に水溢れそうやな~。もっと深くすれば良いのに」と思ってしまう。
そういえば、ここは自然の池なんかな、それとも人工?不自然に浅いような気がするんだけど。水害対策とか灌漑用とかに造られた人工池なのかな?


絶海池には、なぜか鳥がいっぱいいた。
水深が浅いから魚がとりやすくて、それを目当てに集まってきてるのかな?
キミはなんて名前?鴨?


こんなやつもいた。
さっきの鴨みたいなやつ ↑ は水面に浮いてたけど、こいつらは ↓ みんな枝の上にいた。泳げないのかい?
イヤイヤ、そんな習性なだけですよね。


これ ↓ は池の底を撮ったんだけど、穴というか窪みがいっぱいある。
なんじゃろ?さっきの鳥達が地面をつっついた跡なんかな。


絶海池を横に見つつ、五台山トンネルへ。
ここを自転車で通るのは今回が初めて。
宇津野トンネルの片方みたいに、歩道が極狭やったら嫌やな~って思ったけど、ここは広くて通りやすかった。


五台山トンネルを抜け、道なりに進むと、大畑山トンネルが見えてくる。
んで、大畑山トンネルの直前の交差点を右折し、下田川へ。
左側にあるのが下田川。右は田畑用か何かの調整川らしい。
この道を通って雄幸生家へ。目的地はもうすぐだ!


ついたどおー!
ん?
ま、まむしに注意!?


あら、意外と質素なお家ですね。


�Aに続く。


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いやあ。

久々のポタです。

もうすっかりポタブログじゃなく晩酌ブログになってるんで、今日こそはポタネタ書きますよ~。

今日は、鏡川沿いをブラブラしてきました。
つか、今日めっちゃ寒くなかった?
予定では、鏡川橋 → 鏡川大橋 → 新青柳橋 → 浜口雄幸生家まで行くつもりだったけど、あまりにも寒いから鏡川大橋で中断しちゃったよ。


コースの途中にある、月の瀬橋↓
なんか、新しくなってる。
いつの間に架け替えられたんだ?


歩道も広くなっちゃって。
ワシがいた頃は、自転車2台くらいしか通れなかったのに、今じゃあ何台でも余裕で通れるじゃないっすか!
やっぱ10年も過ぎれば変わるよね。


そういえば、今日は火曜日じゃないですか。
火曜市ってまだやってるのかな?っと思い立ち、月の瀬橋を渡って行ってみると、やってました。
子供のころ、ばあちゃんと行ってましたよ。懐かしい。
けど、なんか店の数が少なくなってるような気が。


つぎは、雑喉場橋のたもとにある看板。
市内のあちこちでよく見かける看板だけど、ここのにはちょっと気になる一文が。


それが、赤線部分。
とっ、豆腐商いの特権って!
昔は豆腐一つ売るのにもお上の許可が必要やったんでしょうか・・・。
めんどくさい世の中だったんですね。


その看板の横にあった碑。
濱田恒雄部長?
溺れた人を助けようとして殉職された方やったっけ?
こんど調べてみます。


鏡川大橋。
修繕中のようで、ネットで覆われてます。
てっぺんまで足場組むんかな?
足場の上から地面見るのって ただでさえ怖いだろうのに、さらに川面から橋までの高さが加わって一層怖いやろうな。作業者の方、事故に気をつけてね。寒い中ご苦労様です。

ってことで(どんなことでや・・・)、今日のポタは寒いので終わり~。
今度こそ浜口雄幸の生家に行ってこよう。



あ。
今日の相棒はこいつ ↓ です。
KLEINのATITUDE・V
フォークをサスからリジットに変更して、フルリジットにしてます。
ちょっとサイズでかいけど、きれいな色してるんで気に入ってます。
今日はごくろうさま。





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今回の土佐の偉人は、吉松茂太郎(よしまつ しげたろう)さんです。
茂太郎さんは、旧海軍の大将で、第6~8代の連合艦隊司令長官を歴任した人です。

茂太郎さんの何がスゴイかって言うと、あの連合艦隊司令長官を3代歴任した人だから。
連合艦隊司令長官になるなんて、一度だけでもスゴイことなのに、それを三代続けてやるなんてスゴクない?しかも、3代歴任したのは後にも先にも茂太郎さんだけなんだって。あの山本五十六も2代歴任だけらしいし。
それに、大将になっただけでも称賛に値するよね。時代が時代なら国務大臣と同列か、それ以上の扱いをされるんだから。


「連合艦隊司令長官ってなに?」だって?
ん~とね、簡単に言うと、日本中にある全ての艦隊(複数の軍艦が集まった部隊)司令官のトップって感じかな。今の会社組織で例えると、COO(Chief Operating Officer)になるかも。



さてさて、そんなスゴイ茂太郎さんって、どんな人なんだろ?

なんでも茂太郎さんは、1859年に中村で生まれたそうな。
で、中村から高知に出て、致道館(今、県立武道館がある所)にて勉学にはげみ、後に開成学校(今の東京大学)に進む。
その後に海軍兵学校へ入り、順調に軍歴を重ね、日露戦争では「常磐」艦長として、蔚山沖海戦・日本海海戦に参戦したそうな。
日露戦争後には、各地の鎮守府(基地のこと)や艦隊司令官を勤め、1915~1917年に第6~8代の連合艦隊司令長官を歴任する。



う~ん。
華々しい経歴ですなあ
小生の経歴とは大違いです



そんな華々しい経歴を持つ茂太郎さんは、華々しいイベント・観艦式にも参加してるんです。
観艦式とは、各国の御自慢の艦艇を一堂に集め、各国が自国の精強さをアピールすると共に国際交流する式典で、おもに何かの祝賀事項がある際に一緒に行われてました。

で、茂太郎さんは、1902年の「エドワード7世戴冠記念 観艦式」に、巡洋艦「浅間」艦長として参加してるんです。
観観式は国際交流の場でもあるから、日本としては恥をかかない優れた人物を派遣したい。
しかも開国して近代化に着手し約35年たった日本にとっては、「日本はこんだけ近代化したんだっ!」つーのをアピールする絶好の機会だから、一層優秀な人物を派遣したかった。「誰か良いのおらんかいなぁ?」とエライさんが探してると・・・。

「茂太郎イイんじゃないっすか?」
「あ、そお。じゃ茂太郎で」

つうわけで選ばれたかどうかは知らないけど、近代化した日本をアピールするため、日本代表の一人として観艦式に参加することになったんです。
この当時の日本の情勢を考えると、日本代表に選ばれるっちゅうことが、茂太郎さんのスゴサを表してると思いませんか? 



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ちなみに「浅間」は、その後、日本が開いた観艦式で最も多く「御召艦」に選ばれてます。
御召艦とは、当時は神様として扱われてた天皇を乗せたりする船です。
そんな船の艦長に、中途半端なやつを任命するはずがありません。

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