2009年01月

今日は土曜日です。
1/24の土曜日です。


ええ、決して月曜日なんかじゃありません。
あってたまるもんですか。
誰が何と言おうと、1/24の土曜日です。
明日は日曜日です。明日はまだお休みです。


と、
現実逃避してもしゃあないんですが、土曜日に岡豊城に行ってきたんですよ。
もうね、死ぬかと思うくらい寒かった! おかげで風邪ひいてせっかくの日曜日が・・・。


しっかし、なんで あの雪山 ↓ を見て、行くのを思いとどまらんかったんやろ。
普通は止めるでしょ? つかメッチャ寒かったでしょ? なぜ止めなかったんじゃワシよ?
これはやっぱ、あれですな、そこに山があるからですな。それとも雪山の魔力と言うやつですかな?
くう~、偉大なる雪山め! いったい俺に何を求めているのかっ?

いいえ、単にわたくしが〇〇だからでしょうなあ。
山の魔力っつったって、別にあの山に登山しに行ったわけじゃないし。
そういえば、自転車で山登るのって 登山 になるんじゃろか?


山は山でも、こっちは雪が降ってない岡豊山の頂上。
意外と楽に登れる山だった。
汗かくの嫌だから、きつかったり登りが長かったら止めようと思ってたけど(すんません、根性無いんです)、気付いたら頂上に。距離が短かったからかな。
右側の丘みたいなとこが本当の頂上で、ここに岡豊城の跡がある。


当時は2階建ての櫓?があったらしいけど、今は土塁や空堀、礎石が残ってるだけ。
ここからは土佐湾が一望できるし、反対側には四国アルプス、そして眼下には土佐国司を捉えることができる。むむ、いい場所ですな。



こうゆう駐輪場って、スタンドのないワシらチャリダーにとってはありがたい。
けど、たまにスタンド付いてるママチャリとかが使ってるんだよね。
「おまえ、スタンドあんねやから使うなよっ!」って言いたくなるけど、まあしゃあないか。


この山の裏手には、長宗我部氏の墓所があって、もちょっと離れた所(医大の前あたり)には、長宗我部氏に仕えた家臣の墓地もある。そこは子孫のみが使用を許されているらしく、一般人が新規に使用することは出来ないらしい。




なんであの寒い中、あんなとこに行こうと思ったんやろ。
やっぱ山の魔力のせいなんかな?
それとも、いわゆる、あっちの誰かが、行こうと呼ん・・・
うー! さぶさぶっ!



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門を潜ると、塀に登れる石段がある。
これも萌えポイント。斜めに傾いてるとこが妙にイイ。
あと、石垣が荒く積まれてるのもカッコイイ(野積みってゆうんだっけ)。


塀にある木製の物体(赤丸箇所)。
これは塀を支えるつっかえ棒の役割もあるんだけど、実は、敵が塀をよじ登ってきた時に これに登って応戦するために付けられてるらしい。


あんだよ! って言ってるみたい。


これは門の扉。
パッと見は地味で 何でもない様に見えるんだけど、本当になんでもないと思う。
残念、なんか味がない。木がもっと黒ずんでると良いんだけど。


けど、こうゆう造りは好き。
もっと光沢があったら良いのにな。


そう言えば、城好きのなかで語られてる、こんなジンクス?がある。
曰く「城の全てを大事に保存してる町は栄えてて、天守閣だけを重点的に管理・保存してる町はそこそこ、なんにも無いとこは問題外」だそうだ。

それ、わかるわ。
なんか、天守閣はあるのに 門とか壁とかが無い城って、画竜点睛な感じするもん。観光しに行く気になんない。そのせいでか分かんないけど、そうゆう所って観光客少なくて街に活気が無いような気がする。
その点、高知は良い門もあるし、櫓もいっぱい、御殿まである。 良い城だ。なのに何で街に活気がないのかな?

それは多分ね、追手門の周りが地味だからだよ。もっとあの門と壁を引き立てなくちゃ!
せっかく良い門や、壁や石垣もあるんだから。

いや~。
門って、本当に良いものですね。
それでは また、お会いしましょ~。



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市場細分化(セグメンテーション)という概念がある。
これは、一つの市場を、その特徴に合わせて細かく分類するということだそうだ。逆にいえば、一つの市場は多くの小市場で構成されるとも言える。

趣味の世界にも、これがあるように思う。
一番身近なのが自転車。MTBもあればロードもある。BMXやピスト、シクロにランドナー。同じ自転車でも様々な世界に分かれている。
鉄ちゃんの世界もそうらしい。普通、鉄ちゃんといえば、電車の写真撮って&乗って楽しむ人を連想するのだが、実は前者を「撮り鉄」、後者を「乗り鉄」というらしい。この他にも、電車のモータ音&ブレーキ音を楽しむ人を「聞き鉄」、アナウンスを楽しむ人を「アナ鉄」、ダイヤ編成を楽しむ人を「ダイ鉄」というらしい。ちなみにお昼の顔・タモリさんは線鉄(鉄道線路マニア)とのこと。

マーケティング論では、このような小市場に集うお客さんは、いわゆる 濃い~人 とされている。
はい。まったく異論はござません。
実はワタクシ、小市場にもならないような あるもの に心奪われてるんです。正直、あんなもんに心奪われるのは、へんたい・・・、いや、たいへん な へんたい だと思います。あ、もちろん自転車じゃないですよ。




ええ。
この写真を見て、もう何オタかお気付きでしょう。
お城です。けど、本当にドン引きするのは、ここからです。


実はワタクシ、
城の中で一番でかい門(追手門)と、門を囲むようにある壁(郭)が大好きなんです!
もう、萌え~** って感じです。
シロウトにも分かるように萌えポイントを赤丸してみました。どうです? 萌えるでしょう
え?何でこんなんに萌えんのって?
そんなんワタシも分かりません。萌えちゃうんだらしょうがないんです。
たぶん、目立たずヒッソリと存在してるけど、大事な役割を担ってるからだと思います。そんなヤツに弱いんです。


あと、城に攻め入る戦国武将の気持ちになっちゃうんだよね。
たとえば、「追手門に攻め入るとすると、まず、一番左と正面の赤丸部分から攻撃がくる。それをかいくぐって門の正面まで来たとしても、今度は左から2番目の赤丸部分と右端赤丸の追手門からも攻撃される。むむ、どうやって攻め入ろうか・・・」とか考えちゃう。


この写真がお気に入り。
天守閣の写真よりもカッコいいと思うのはワシだけでしょうなあ。
萌えポイントは、壁と石垣と堀のナイスコラボです。
どんなブランドやアーティストのコラボよりもイケてます。



この大手門、小さすぎず大きすぎず、地味でもなく派手でもなく、かといって味が無いわけではない。
日本の城の中で、最も良い感じの門だと思う。


この木の柱に打っている鋲も良いんだよね。
ん?なんだあれ?


ぬこですた。
どこにでもいますなあ。



→ もう少々、お付き合いください。



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今回の土佐の偉人は、義堂 周信(ぎどう しゅうしん)さん。

義堂 周信は、南北朝時代から室町時代に活躍した臨済宗の僧で、京都五山である相国寺の建立を進言したり、南禅寺の住職を務めた人。また、足利義満の師でもあります。
詩文の才に優れ、同じく土佐出身の絶海中津(ぜっかいちゅうしん)とともに五山文学の双璧とされてます。



ふ~ん。
なんか偉いボンさんっぽい・・・。
ボンさんなのはわかったけど、ところで京都五山ってなに?



・・・。
調べたところ京都五山とは、京都にある禅寺の序列とのこと。
なんでも、室町幕府の3代将軍・足利義満が、寺社に序列をつけることで幕府による寺社の統制を行い、それによる幕府権威の強化を目的につけたらしい。 んで序列は、

別格・南禅寺、第1位・天龍寺、第2位・相国寺、第3位・建仁寺、第4位・東福寺、第5位・万寿寺、

となってる。
で、この6寺(=別格+五山)がなんなんじゃ?と言うと、これら寺の僧は、中国文化(当時の最先端の思想・政治・文化・芸術)に通じており、そのため幕府の政治・外交顧問や、外交文書の起草などを行ったそうな。今で言えば外務省と内閣府のエリート官僚の集団ってとこでしょうか。
※勝手な想像だけど、上記の他に幕府が6寺を統治した理由として、6寺を統治することで、6寺がそれぞれ全国に有する約1万近くの傘下寺院をも統治し、それら傘下寺院を通じて全国を間接的に統治する腹があったと思う。

で、今回の主役・義堂周信さん。
冒頭でも言ったけど この五山の一つ相国寺を建立し、また、別格である南禅寺の住職も務めてるんです。
室町幕府の外交・政治を 五山の僧が担っていたことを考えると、五山の一つ(相国寺)を建立し、別格の(南禅寺)住職を務めた義堂さんは、室町幕府の発展を陰で支えた人の一人だと言えないでしょうか。そんな義堂さんって、どんな人?




義堂さんは、1325年3月1日、津野町に生まれたそうです。
オヤジは平氏の人で、オカンは藤原氏の人だったとのこと。
14歳で無常を観じ(な、なにっ!)、翌年に受戒、17歳で禅に転じて京都比叡山で足利将軍家とも親密であった夢窓疎石の弟子となったそうな。
14歳で無常を観じたんですか・・・。ワシは14の時 空腹しか感じてませんでした。終戦直後の子ですかワシは・・・。しかし、なぜに14歳で無常を? やっぱ両親が平氏と藤原氏というのが関係してるんですかね?「かつては栄華を極めた平氏と藤原氏の流れをくんで生まれたのに、なんでこんな山奥で暮らさなあかんのやろ。もっと昔に生まれてたら豪華な生活出来たろうになぁ・・・」なんて、自身を取り巻く環境の栄枯盛衰から、所業無常を観じ取ったのかもしれませんなあ。

さてさて、夢窓疎石のもとで修行した義堂さんは、1359年に当時の幕府(鎌倉幕府)が関東統治のために設置した鎌倉公方の足利基氏に招かれて鎌倉へ赴き、基氏や関東管領の上杉氏などに禅宗を教え、数年間鎌倉で過ごします。
その後、1386年に、3代将軍・足利義満に請われて南禅寺に移り、義満の家庭教師的存在となります。この出会いが後に、中国文化と日本文化が融合された北山文化を花開かせるきっかけになったのかもしれません。
師と弟子の関係になった二人の絆は固く、義堂さんは義満に強く信頼されてました。そのためか、後に五山に叙せられる相国寺の建立が許されたり、また、室町幕府を開いて 足利将軍家の初代でもある足利尊氏の墓がある等持寺の住職も務めます。さらに彼が南禅寺の住職になると、住院中に南禅寺は「五山之上」(別格として五山よりも高い地位につくこと)になりました。
このように足利3代将軍・足利義満の師として、また室町幕府の外交・政治顧問を担った五山の重鎮として活躍した義堂さんは 将軍家から手厚い保護を受けるようになりますが、義満の師となった数年後の1388年に亡くなります。63歳でした。




土佐人が日本国レベルの政治や外交に関与するのは幕末以降かと思ってましたが、実は700年も昔の室町時代に、将軍の相談役として、また外交・政治を輔弼する組織の長として、日本の政治・外交を支えていた人がいたんですね。竜馬クラスにデカイことしてる土佐人が、竜馬の他にもいたじゃないですか。




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おまけ ↓
南禅寺の境内にある水路閣。
ここは紅葉の名所になってるし、よく京都もののドラマとかで見たことない?

この橋 ↑ みたいなのの上方に水路 ↓ があって、今も琵琶湖から京都まで、水路を伝って生活用水が送られてる。これ ↓ が水路閣の上にある水路。

この水路は明治時代に建てられたものだけど、実はこの水路を整備したのが、土佐人である坂本則美(さかもと のりみ)さん。この話はそのうち。



玄関を入ると、すぐ左側に居間があった。これ ↓ が居間。
床の間には、香炉や掛け軸、大小の刀がある。


天井そばの壁には、槍が掛けられてた。
壁に槍を掛けるのは、武家屋敷や旧家には多いらしい。


居間は庭に面していて、とっても明るかった。
で、これが ↓ 庭。
庭の隅っこには水琴窟があった。音は出なかったけど・・・。


居間の横にはお茶用の部屋があった。
茶の湯も武士の嗜みということでしょうか。



廊下には謎のでっぱりが。
侵入者を容易に近づかせないためのものだろうか。


他にも台所や勝手口があっておもろかったよ。
入場料タダだし。



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