2011年02月

以前「【土佐の偉人�J】谷干城:熊本城籠城戦」で書いた谷干城の墓所。
多数の石を積み上げて築いた墓が二基あり、大きい方が干城、小さい方が妻の玖満子の墓である。

玖満子夫人は土佐藩士・国沢七郎の娘。19才で嫁いできた。
西南戦争の熊本城籠城戦のおりには「東京に帰れ」と説得する干城に「夫と共に苦楽をするのが当然」として共に籠城。城内の溝辺でみずから山菜をとって「おひたし」をつくったり「おはぎ」をこしらえ兵に食べさせたり、兵の寒さよけに約4000名余りの足袋を仕立てたり、麻糸で土嚢袋を作ったと言う。
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奥には父・影井や、養子・乙猪の墓もある。
ちなみに乙猪の墓石には従五位の文字があることから皇室から従五位が授けられたようだ。


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その昔、第六小学校の近くに、麻田楠馬の邸宅があった。
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麻田楠馬は270石内70石御蔵の御馬廻役の土佐藩上士。
少林塾で吉田東洋に学んだ新おこぜ組の一人である。
そのため東洋の片腕として活躍しており、山内容堂が朝幕間調停に奔走していた際には、東洋とともにこれを諫めに赴くなどしている。また、武市瑞山が東洋暗殺の件で投獄されると、これを尋問した。
1864年におきた野根山屯所襲撃事件の際には、後藤象二郎、乾退助、森権次とともに、事件を起こした二十三士に対して即刻斬首するよう命じている。


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