以前「【土佐の偉人�J】谷干城:熊本城籠城戦」で書いた谷干城の墓所。
多数の石を積み上げて築いた墓が二基あり、大きい方が干城、小さい方が妻の玖満子の墓である。
玖満子夫人は土佐藩士・国沢七郎の娘。19才で嫁いできた。
西南戦争の熊本城籠城戦のおりには「東京に帰れ」と説得する干城に「夫と共に苦楽をするのが当然」として共に籠城。城内の溝辺でみずから山菜をとって「おひたし」をつくったり「おはぎ」をこしらえ兵に食べさせたり、兵の寒さよけに約4000名余りの足袋を仕立てたり、麻糸で土嚢袋を作ったと言う。

奥には父・影井や、養子・乙猪の墓もある。
ちなみに乙猪の墓石には従五位の文字があることから皇室から従五位が授けられたようだ。
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多数の石を積み上げて築いた墓が二基あり、大きい方が干城、小さい方が妻の玖満子の墓である。
玖満子夫人は土佐藩士・国沢七郎の娘。19才で嫁いできた。
西南戦争の熊本城籠城戦のおりには「東京に帰れ」と説得する干城に「夫と共に苦楽をするのが当然」として共に籠城。城内の溝辺でみずから山菜をとって「おひたし」をつくったり「おはぎ」をこしらえ兵に食べさせたり、兵の寒さよけに約4000名余りの足袋を仕立てたり、麻糸で土嚢袋を作ったと言う。

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