大阪府堺市に、堺事件の際に切腹した土佐藩十一烈士の切腹地であり、墓のある、妙国寺がある。

堺事件は堺を警護していた土佐藩兵と不法に測量をしていたフランス海軍との間で起きた銃撃事件。日本はフランス政府から責任を取るよう言われ、仕方なく土佐藩兵20名を切腹させる事にした。
朝廷からその指示を受けた土佐藩は、事件に関与した藩兵を大阪の土佐藩邸に謹慎させ、国元から深尾鼎・小南五郎衛門「小南五郎右衛門の生誕地」を出張らせ処置させる事にした。小南は切腹させる藩兵を決めかねたため、土佐稲荷神社「【三都物語2010:大阪】土佐稲荷神社(堺事件ゆかりの地)」に赴きクジ引きで決め、その後、ここ妙国寺へ移り、切腹を見届けた。

境内に供養塔があった。
この碑は切腹した11名を悼んだ土佐藩主・山内容堂が建て、後に住職が建て直し、明治末に谷干城等が墓域を整理して今に至っているそうだ。この碑の奥に切腹地がある。


妙国寺の道を挟んだ反対側に宝珠院があり、ここに十一烈士が葬られている。
切腹した十一烈士とは、箕浦猪之吉「箕浦猪之吉の生誕地:ハラキリを世界に知らしめた人」、西?、大石良信、山本利雄、杉本義長、森本重政、稲田樌成、池上光則、勝賀瀬周迅、北代正勝、柳瀬義好の11名。どうやら今の宝珠院は幼稚園を兼ねているようで、門前から中の様子を見ると、遊具とかがある広場の奥に大きめの墓が数基並んで建っていた。この日は土曜日だったからか門が閉じられ中には入れなかったが、恐らくあれが烈士の墓だろう。仕方ないので後日、墓前で手を合わせられなかった代わりに「烈士殉難の碑」に行って来た。


↓ぽちっとお願いします。

にほんブログ村

堺事件は堺を警護していた土佐藩兵と不法に測量をしていたフランス海軍との間で起きた銃撃事件。日本はフランス政府から責任を取るよう言われ、仕方なく土佐藩兵20名を切腹させる事にした。
朝廷からその指示を受けた土佐藩は、事件に関与した藩兵を大阪の土佐藩邸に謹慎させ、国元から深尾鼎・小南五郎衛門「小南五郎右衛門の生誕地」を出張らせ処置させる事にした。小南は切腹させる藩兵を決めかねたため、土佐稲荷神社「【三都物語2010:大阪】土佐稲荷神社(堺事件ゆかりの地)」に赴きクジ引きで決め、その後、ここ妙国寺へ移り、切腹を見届けた。

境内に供養塔があった。
この碑は切腹した11名を悼んだ土佐藩主・山内容堂が建て、後に住職が建て直し、明治末に谷干城等が墓域を整理して今に至っているそうだ。この碑の奥に切腹地がある。


妙国寺の道を挟んだ反対側に宝珠院があり、ここに十一烈士が葬られている。
切腹した十一烈士とは、箕浦猪之吉「箕浦猪之吉の生誕地:ハラキリを世界に知らしめた人」、西?、大石良信、山本利雄、杉本義長、森本重政、稲田樌成、池上光則、勝賀瀬周迅、北代正勝、柳瀬義好の11名。どうやら今の宝珠院は幼稚園を兼ねているようで、門前から中の様子を見ると、遊具とかがある広場の奥に大きめの墓が数基並んで建っていた。この日は土曜日だったからか門が閉じられ中には入れなかったが、恐らくあれが烈士の墓だろう。仕方ないので後日、墓前で手を合わせられなかった代わりに「烈士殉難の碑」に行って来た。


↓ぽちっとお願いします。
にほんブログ村





