佐川町の国道494号線沿いに、勤王の志士・片岡利和「【土佐の偉人�Q】片岡利和:新撰組と斬り合った!」の邸宅跡がある。

片岡は、城下にある潮江村の郷士・永野源三郎の二男として生まれた。
後に、土佐藩家老兼佐川領主・深尾家の家臣である那須橘蔵のもとへ養子に入り、この地で暮らす。
1864年、田中光顕「田中光顕の邸宅跡」、大橋慎三、池田応輔、池大六と共に脱藩して長州に渡り、大阪城焼き打ち計画に参加。同計画を実行に移そうとするも新撰組にばれてしまい、いわゆる「ぜんざい屋事件」が発生して、同郷の志士・大利鼎吉「大利鼎吉の遭難地碑」を失うものの、奈良の十津川に逃げ延びた。十津川村では地元郷士の中井庄五郎(ちなみに中井の愛刀は南海太郎朝尊「南海太郎朝尊の工房跡」)や、既に京阪で活躍していた中岡慎太郎と知り合り、後に陸援隊に加盟。明治になると宮内侍従となり、天皇のよき相談相手になったほか、千島列島を探検した。
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1864年、田中光顕「田中光顕の邸宅跡」、大橋慎三、池田応輔、池大六と共に脱藩して長州に渡り、大阪城焼き打ち計画に参加。同計画を実行に移そうとするも新撰組にばれてしまい、いわゆる「ぜんざい屋事件」が発生して、同郷の志士・大利鼎吉「大利鼎吉の遭難地碑」を失うものの、奈良の十津川に逃げ延びた。十津川村では地元郷士の中井庄五郎(ちなみに中井の愛刀は南海太郎朝尊「南海太郎朝尊の工房跡」)や、既に京阪で活躍していた中岡慎太郎と知り合り、後に陸援隊に加盟。明治になると宮内侍従となり、天皇のよき相談相手になったほか、千島列島を探検した。
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