城西中学校の前にある公園に、日本西洋画の祖・国澤新九郎の生誕地碑がある。

国澤新九郎は1848年1月27日生まれの土佐藩士。幼名は熊太郎、成年すると好良、後に泉、そして新九郎となる。戊辰戦争の際に小隊司令として各地を転戦し、後に海軍局頭取、海軍指揮役兼大監寮となって、箱館戦争時には夕顔丸・船将として活躍した。1870年に藩命で馬場辰猪らとともに政治・法律を学ぶため渡英するが、その傍らで学んだ西洋画の才能を開花させ転向する。
帰国すると洋画塾『彰技堂』を開き、その門から小説「三四郎」に登場する深見画伯のモデルと言われている浅井忠や、西敬、本多錦吉郎、守住勇魚らを輩出。自身もいくつもの作品と著作を遺し、まさに日本西洋画の祖と称えられる功績を遺した。だが、渡英時に患った結核が悪化し、1877年3月12日、31歳の若さで没する。
ちなみに弟は日本を代表する運輸会社・日本通運の初代社長を務めた国澤新兵衛である。
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実際の生誕地は、この地から東に40メートルほど東側との事。

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ちなみに「夕顔丸」とは土佐藩の軍艦であり、この船上で坂本龍馬が「船中八策」を練ったと言われている。また、後藤象次郎とパークスがイカルス号事件の談判を行った船でもあり、その際に須崎まで来ていた龍馬は船将の計らいで船内に潜んでいたそうだ。これらの時期の船将は山田畦三郎直枝で、近藤長次郎「近藤長次郎の生誕地碑」を雇っていた由比猪内直春「由比猪内直春の邸宅跡」の養子となった人物であり、後に第7国立銀行の初代頭取などを努めた人物である。


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