2012年02月

寒いですね。

今日は市内神田→伊野→佐川→仁淀川町→伊野→神田と行くつもりだったんですが、とあるブツがそれはもー邪魔で邪魔で走りにくくて、耐えきれずに30キロ位で帰って来てしまいました。

ところで、とあるブツって何やねんって話ですが、ええ、買っちゃいました…。アレを。
エアロホイールに憧れあるけど脚不足だから止めとこうと思ってたんですが、昔からお世話になってる店の一つに何となくホイールの話をしたら、その数日後に「安く手に入る」というTELを貰ったのです。おおぅ…。これは「エアロホイール履いて脚を鍛えなさい」という神様の思し召しだろうか。うん。きっとそうだろう。っと思いこんで入手したんですが、まさかこんなにシンドイもんだとは思いませんでした…。




今日のスタート場所は神田のぽかぽか温泉。
まずはこっから治国谷を登ります。ニューホイールはリムハイト50mmだけど前後重量1300g台と軽量なので軽く登れるかなと思ったんですが、今まで使ってた1900g台のボントラガーの安ホイールと比べると、重くて安いボントラガーの方が良いと思いましたorz。
と言うのも、グイグイ踏み込む時はボントラガーの方が良く進むように思い、ニューホイールは何故か後ろに引っ張られる感じがするのです。引っ張られる感がしたまま走るのは気持ちが悪いんで、自然と速度を上げてしまい、すると当然普段より早くバテテしまいます。なので、普段ダンシングはあまりしないんですが今日は何度もしたくなりました。しかもダンシングするとほんの少しだけどグニャっと感がするんで気持ち悪い。もう、どうしようもない。どうもこのホイールとは相性が良くないようです。ただ、ある程度の速度になると引っ張られる感が消えて、スーッと前に進んでいきます。加速も前のより良いように思います。これがエアロ効果なんでしょうか?

さて、治国谷を下って36号線に出ると仁淀川橋に向かって進みます。
けど、この間は横風と斜め風が強く、そのため風にあおられる度にハンドルを捕られてしまいコントロールするのに疲れました。まるでMTB・DHの後のように手が痛くなりましたし…。ただ、やはりある程度の速度(30K/h位)になるとスーッと進んでいくので楽になるんですが、楽になったと思って踏み込みを緩めるとすぐ失速するので、常に30K/h以上を維持するよう踏み続けないといけません。ふむう、追い風なら出来るだろうけど、向い風の中ではワシ出来んですたい…。
(↓仁淀川橋近くでとった電車)
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仁淀川橋まで来て、橋を渡り佐川に向かって行きます。
けど、雪がちらほらと降って来たし、こんなに走り難いホイール履いて行くのも嫌になって来て、そしたらそこに黒と緑?のビアンキ?に乗った速そうなローディがちょっとバテ気味で来られたので、「あんな人でさえバテ気味なんやから、ワシ、このまま行ったら、死ぬ」と思い、しっぽを巻いて帰ってきましたとさ。まったく、神様もきっつい試練を与えたもんだぜい。

結論:脚と体力がないとエアロホイールは使いこなせない(ウン、分かってたんだけどね…)。








芸西村の和食に土佐藩台場跡碑がある。

この台場は、沿岸防備のために1863年に藩によって築かれた。
大砲三門と弾薬蔵、それに大砲機械小銃等の格納庫が設けられ、柴垣を七十三間巡らせていたという。
少し離れた所には小さな丘と、その頂上に神社らしき建物が見えたが、立地的に有事の際にはそこに本陣が設けられ、指揮をする事になっていたのかもしれない。

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先週末、東洋町にある四郎ヶ根峠を登ってきました。

スタートは、前回来た時にもスタート場所にした道の駅「野根川ポタ�@」です。
ここでボトルに入れる水と補給食を買おうと思ってたんですが、いつも使ってる補給食(カロリーメイト的なやつ)が無かったので店の人に聞いたところ「四郎ヶ根峠の行き道にスーパーがあるよ」との事だったので、店の場所を教えてもらって、さっそく移動しました。

国道55号を野根にむかって進み、途中にあるここの細い道に入ってまっすぐ進みます。
すぐある交差点をまっすぐ進み、緩い坂をくだると、教えてもらった野根スーパーがありました。ここで補給食をゲットし再出発です。ちなみに交差点を左折してちょっと進むと高知銀行のATMがあるんですが、その隣は円広志の実家だそうです。たまに帰ってきては近所をぷらぷらしてるそうですが、残念ながら今日は会えませんでした。
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さて、補給食をゲットし、さっきの国道に戻って行こうかと思ったんですが、スーパー前の道が緩い下りになってたので、なんとなく下ってしまい田園地帯へ来てしまいました。周囲を見るとどうやら側に野根川が流れてるようなので、このまま道なりに北上すれば行けると思い北上しました。
後になって気付いたんですが、この田園地帯にある集落は、戦国時代に野根城が築かれた土居のようです。野根城は、安芸国虎を中心とする安芸連合軍の一員・惟宗野根国長の居城で、彼はこの城を中心に野根と甲浦を治めていました。ところが1575年7月15日に盆踊りをしている所を長宗我部元親に奇襲され甲浦城に敗退。その甲浦城も翌日には落とされ、この日、長宗我部元親が土佐平定を完了させました。そして土佐を平定した元親は、家臣の吉田左右衛門左武重(吉田東洋の遠戚)を甲浦城主、桑名将監を野根城主として入城させ、隣国・阿波への拠点を確保し、翌年に弟の島弥九郎の敵討「長宗我部元親の弟「島弥九郎事件跡」の碑」を名目に阿波へ侵攻して四国平定へ乗り出したのです。
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北上してると学校っぽい建物が見えてくるので、その辺りで左折します(ちなみにまっすぐ進むと中島という地区に入りますが、そこは南渓月「南月渓の生誕地」や川谷薊山「高知城三ノ丸と川谷薊山」が誕生した地です)。
左折すると川岸に出てきて、少し大きめの橋があります。
その橋を渡って道なりに進むと、目的の四郎ヶ根峠に着きます。ちなみに橋を渡ってすぐに平山組という建設業者さんの資材置場があるんですが、2003年にここで旧日本軍のロケット戦闘機・秋水「秋水-Wikipedia」の燃料容器が発見されています。なんでこんな所にあったのか謎ですが、なんか萌えます燃えますね。
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はい。
ここが四郎ヶ根峠の登り口です。
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けっこうキツイ登りです。
登ってると不思議なもんで「なんでこんなんが出てくんの!?」とビックリするような歌が次々と脳内再生されてきます。中学時代に聞きまくったブリットポップ(死語)やら、早川えみやら、水樹奈々さまやら、はては渚ゆう子の京都慕情まで…。何とかして苦痛から逃れようとしてる脳味噌ちゃんの努力が窺えて、涙で目の前がにじんでしまい…あ、汗でした。

そして、ここら辺で「ぴんから兄弟」の名曲「女のみち」が脳内再生されました。そしたら、なんかグイグイゆっくりと踏み込むぺダリングのリズムと合ってるようで、意外と楽に走れてビックリ。どうやらヒルクライムする時には歌謡曲がイイみたいです。試しにロックやレゲエ、ブルースなどで試してみたんですけど、数秒で疲れてきました。多分ケイデンスと音楽のテンポって相関関係にあるんだと思います。だとすると高ケイデンスの人はロックが合うかもね。

途中に立札があったので見てみると、駕籠かきも一苦労した坂の様。この文章からも勾配のきつさが分かってもらえるかと思います。けど何故かこの立札を過ぎると楽に登れました。
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さっきの立札を過ぎて少し登ると東洋町と北川村の境界に着きます。
ここでやっと登りが終わり、数十メートル進むと野根山街道「野根山街道をポタ」の入口になるので、そこまで行ってゴールです。
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今回、この道の奥が道路工事にともなう交通規制中ということもあってか、車が1台も走っていませんでした。もし、ここでヒルクライムレースをするなら今がチャンスです。誰かやって下さい m( _ _ )m

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高知城の追手門。

天守閣と追手門が一緒に見られるのは高知城だけと言うのは有名らしい。
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その追手門は城の東側に建てられているが、実は建築時に城の西側に建てる計画があったそうだ。
その計画を発案したのは豊前小倉15万石の元城主・毛利壱岐守吉成。なぜ豊前小倉の元城主が山内家の城郭造りに口を出した、というか出せたのだろうか?
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その理由として毛利家と山内家が旧知の間柄だったことが挙げられる。毛利家と山内家は秀吉が天下の時代に屋敷が隣同士で日ごろから親交があり、さらに石田三成が諸侯の妻子を人質に取ろうとした際には、毛利が一豊夫人にそれを知らせ逃れさせたという事があった。このため山内家は毛利に恩を感じており、江戸時代に入って肥後加藤家に預けられていた毛利(毛利は関ヶ原の合戦時に西軍に属していたため、合戦後に加藤家に預けられていた)を土佐で引取り、機会があれば意見を聞くなどしていた。そのなかで毛利は、城の西側に追手門を、そして北側に菩提寺を建てるべきと進言したのだ。しかし、一豊の弟の康豊がこれをきかず東側に追手門、南側に菩提寺を建てたため、現在のような城郭になった。
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そんな毛利は1千石の封地が与えられ、城の西郭の尾戸にある屋敷に住んでいた。
この辺り一帯↓が毛利壱岐守吉成の屋敷跡。後に近くで尾戸焼という焼物が焼かれた。
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大豊町の八坂神社側に巨杉の杜(巨杉神社)がある。

巨杉の杜は、山下奉文「山下奉文の邸宅跡碑」を崇敬する八坂神社の宮司・釣井正亀氏が1970年に地元民と共に造営した神社。もともとは巨杉神社として造営したが「神社という名称を使うのはどうか」という声があったため「巨杉の杜」と改め今に至っているそうだ。
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なぜ山下を祀る社が巨杉という名称なのかというと、山下が八坂神社内にある「日本一の大杉」を好んでおり、雅号を「巨杉」にしていた事に因んでいる。
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これが↓八坂神社境内にある大杉。 国指定の特別記念物である。
推定樹齢は3000年で、南大杉(大きい方)と北大杉と呼ばれる2株の大杉からなっており、南大杉の根元の周囲は約20m・樹高は約60mで日本一といわれている。
ちなみに、地方巡業の途中で訪れていた美空ひばりが、この大杉に「日本一の歌手になれますように」と願ったところ、だんだんと人気が出てきて日本一の歌手になったという。このため現役歌手や歌手志望の者の参拝が後を絶えないと言う。

巨杉の側には、高知出身の陸軍大将・由比光衛の筆による皇太子成婚記念碑もある。

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