カテゴリ: 高知の場所・事・話

南北朝期の備前長船の刀工・兼光の太刀が高知県に寄贈された。

この太刀、大岡越前として有名な江戸町奉行・大岡忠相が所有していたと伝えられている名刀で、明治期に刀鑑定の大御所・今村長賀が土佐山内家に献上した一振とのこと。なので「今村兼光」と呼ばれているらしい。

寄贈された高知城歴史博物館では、今村兼光のほかに同館に収蔵している、いずれも国重文の太刀「一国兼光」「国時」「康光」を今年の12月7日~来年2月3日に同館で展示する予定とのこと。この機会にぜひ高知へおいで下さい。

ちなみに高知には、南海太郎朝尊左幸秀といった名刀工がいました。どちらも史跡があるので行ってみて下さい。
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に、行ってきました。


こらそこ!
「今更かよ」って言わない!


あのね、今更かよって思うだろうけどね、今まで行かなかったのには理由があるの。と言うのもね、実は海洋堂の博物館的なところには滋賀県長濱にある海洋堂ミュージアムに行ったことがあったんで、どうせ同じ内容だと思って今迄行かなかったの。それに、なんかえらいヘンピな所にあるとも聞いてたんで、なんか行くのが億劫だったの。けどね、なんか今日は暇だったから行ってみたの(研修のせいで脚力が落ちてなかったら、ツール・ド・にし阿波に出てたのになぁ…)。


ここが海洋堂ホビー館・四万十。
思ったほどヘンピなところじゃなかった。道路も普通にきれいな舗装だったし思いのほか行きやすかった。んで、駐車場に車を止めてドアを開けると、なんか聞き覚えのある曲が流れてた。こ、これは、ひだまりスケッチのキャラソンではないかっ!まさかこんなところで阿澄佳奈の声を聴けるとは。いやもう一気にテンションMAXですよ。まさに、もこ歌元気。ついでに井口乙ですよ。
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ホアタァ!!!

戦車がいっぱい。
手前の戦車はカメさんチームの…、ではなくドイツ軍の38式軽駆逐戦車ヘッツァー。
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館内。
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食玩コーナー。
魚・鳥・昆虫・動物・恐竜・萌え等のテーマごとに展示されてます。
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よつば。
と、白と黒の動物。
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福猫。
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七人の侍の三船敏郎。
隣には黒沢監督もいた。
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なのは。

ダンボーがいっぱい。
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とあるシリーズのレールガンチーム。
周りにはエヴァ関係のフィギュアが。
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なつかしの学校給食。
ちなみにワシはこの世代ではない。
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ああ女神様。
アフタヌーンのおまけで付いてたやつ。
ワシ、この3体持ってるぞなもし。。。多分今も家のどこかにあるはず。
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親鸞上人坐像。
マニアックですな。
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阿修羅像。
数年前にプチブームになった仏像女子にバカ受けしそう。

こんなんがあったらしい。
エロクトロボーイZ。
エレクトロじゃなくてエロクトロ。しかもZ。なんかエロい。
この少年の顔も、なんかむっつりっぽい。
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食事中のドイツ軍のようです。
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奥は二式水戦、手前は零式水偵っぽい。
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土産物コーナーに、ダンボーの手作りキットがあった。
買いたくなったが、買った後のことをふと考えて踏みとどまった。




なぜか最近、川田小一郎「【土佐の偉人�M】川田小一郎:日本銀行の法王」の検索結果で本ブログに来られてる方が多いので、本ブログでは未紹介の川田小一郎ネタを紹介しようかと。それは、京都の二条木屋町を下ったところにある、川田小一郎の別邸跡です。
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一説では、川田が亡くなったのは大阪ではなく、この地とのこと。
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東洋町の野根小学校で金環日食の観測会が開かれたそうです。

この観測会は、東洋町商工会の声掛けで開催されたもので、観測会と同時に、江戸時代に日食予測を的中させ全国に名をはせた野根出身の偉人・川谷薊山「高知城三ノ丸と川谷薊山」の紹介もされたそうです。
当日は、以前お世話になった地元郷土史家の原田先生が、生徒約30人と保護者の方達に日食の説明をした後に、川谷薊山の紹介をされたとのこと。天候はあいにくの曇り空でしたが、生徒たちの日頃の行いが良かった為か、金環日食の瞬間にちょうどうまく雲に隙間ができて、観測に成功したそうです。
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生徒たちは教育委員会から配布された日食観測用グラスを使用して観測したそうですが、イイ感じに雲が出ていたので、参加した保護者の中には「肉眼のほうがよく見える」と言った人もいたそうです(日食網膜症になる恐れがあるので絶対ダメですが…)。ちなみに、この観測グラスは商工会が教育委員会に仲介販売したそうです。
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東洋町は若者の流出により町が年々衰退しているそうです。今回のような企画をきっかけに子供たちが地元の偉人を知れば、子供たちに郷土愛が育まれ、地元に残るor帰ってくる若者が増えて地域再生に繋がるかもしれませんね。地元商工業の発展だけでなく、地域振興にも貢献しているこういった商工会には、今後も頑張ってほしいものです。

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南国市の岡豊に、吉田備後守邸跡碑(通称・吉田城跡)がある。

吉田備後守とは吉田重俊のことで、長宗我部国親・元親の二代に渡って仕えた武将。国親の大津城攻略の際に長宗我部軍の先手として活躍し、以後の戦いでも常に先手として活躍した事から、その武勇でもって「大備後」と称された人物である。侵攻先を攻略すると、その地を治める城の城主に任命されることが多いようで上夜須城主などを歴任。侵攻先と領内の国境線を守る要の重臣として活躍したようだ。

ちなみに、重俊の兄は井口城主・吉田備中守周孝で、その妻は長宗我部国親の妹。このことから吉田氏は長宗我部氏と親戚関係になり、重俊などが重臣として取り立てられるきっかけとなった。この写真↓のように吉田城が長宗我部氏の居城である岡豊城近くにある事からも、重俊をはじめとする吉田氏が重臣として信頼されていたことを窺い知れる。
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また、重俊は大備後と称されるほど武勇にすぐれた人物だったが、その子孫も武勇にすぎれた人物が多い。例えば、重俊の長男である伊賀介重康は、安芸国虎が岡豊城に侵攻した際にこれを撃退。父から上夜須城主の座を引き継ぎ、後に安芸軍下の馬ノ上城を攻め落として同城主も務めた。次男である親家も、土佐山田氏との戦いで主力として活躍。後に江村備後守親政の養子となって備後守を継称した事から、父・備後守重俊がその武勇でもって「大備後」と称されたのに因み「小備後」と称された。
重康の子・孝俊(武重、左衛門佐)は、矢流で安芸軍との合戦に参加した際に、奇策をとって安芸軍を総崩れさせており、また、父から夜須城主を引き継いだ後、元親の下で安芸軍下の数々の城を攻略。攻略した穴内城、新城城、甲浦城などの城主も務めた。
しかし中富川の合戦で戦死し、その長男・孫左衛門重年が家督を継ぐと、重年は安芸郡奉行職を拝命。後の阿波侵攻時にも善戦し、元親により阿波国が平定されると渭山城主(後の徳島城)となって阿波を統治した。この重年が吉田東洋の先祖である。また従兄弟に政重「吉田市左衛門政重出生の地碑」がいる。

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